ちょっと、短歌と俳句の違いについて
【短歌の歴史と現在】
・特徴…1200年以上の歴史を持ち、宮廷文化から発祥したとされている。そのため、57577の定型に対して、言葉や単語が跨る形「句跨り」は下品とされ、確立されたと言えるのは最近(20〜70年くらい)の話。 「1首(しゅ)2首(しゅ)」と数える。 ・現在の問題…57577の定型を前提としない文字合わせの句跨りが横行しすぎてしまったため、暗唱性の乏しい平坦な歌が増加しているように感じる。
【俳句の歴史と現在】
・特徴…江戸時代の市井文芸である「俳諧」をもとに、正岡子規が言文一致運動の一つとして連歌の最初の句である発句を独立させて「俳句」としたもの。(つまり、江戸時代からの文芸とも言えるし、明治からの文芸とも言える) 575の定型に対し、当初から句跨りが存在し、「1句2句」と数える。 季語と呼ばれる、季節の言葉を入れる事がほとんどである。 ・現在の問題…短歌の場合、「正岡子規」「佐々木信綱」「与謝野鉄幹」という同時多発的主導者がいたが、俳句は正岡子規が俳諧をもとに始またため、俳諧と俳句の歴史観が曖昧である。 また、文字数が少ないせいか、これまでと違ったものを生み出した「研究成果発表」のような句が注目を浴びる傾向にある。
【短歌と俳句の補完関係】
・現在の短歌に決定的な役割を果たした前衛短歌の2人、塚本邦雄氏と岡井隆氏が共に西東三鬼氏についてのコラムや意見の書簡を出版するなど、勉強対象又は両方作る個人が存在した時期があった。 現在でも同様な個人は存在するが、歌壇や俳壇の主要メンバーが共有すると言うことは少なくなったように感じる。 ・補完関係のない場合の弊害…どちらかに「より良い」作品が既出の場合、気づかずに評価してしまう場合がある。(※例)
【※例:補完関係が築かれていなかった、また必要だった】
・どこまでが空かと思い 結局は 地上スレスレまで空である (奥村晃作歌集『キケンの水位』より) この歌を、ある人は失敗といい、ある人は「発見」と呼んだが、この歌集が2003年である。 ・わが背丈以上は空や初雲雀 (中村草田男) という、同様のコンセプトで遥かに端的な句が既に存在していたのだが、短歌の方々はご存じなかったのか、この指摘を見たことがない。 この句の初出はわからないが、中村草田男は明治の生まれで、1983年には亡くなっている。 それなのに、奥村の歌よりも現代的でスタイリッシュでソリッドだ。 つまり、「内容に合った詩形」というものがあり、先にそちらで提出されていた場合、後出のものはそれを知った後でも同様に評価されるべきなのかどうかという問題が存在する。 今回の場合、少なくとも「発見」性は薄れるので、これから出版されるであろうアンソロジーなどでは気をつけて頂きたいものである。