東直子インタヴュー③燃える森を止められなくて
つまり、“てのひらにてのひらをおくほつほつと小さなほのおともれば眠る”は実際の育児体験であり、歌の中にたびたび登場する「娘」さんはかほりさんの事なのだ。 ・十分に育ったはずの娘だがいつも何かが足りないらしい (『短歌研究』2017年10月号巻頭作品三十首「夏の避雷針」より)
同じく『短歌研究』2017年10月号巻頭作品三十首「夏の避雷針」より ・燃える森を止められなくて飛ぶ鳥の気持ちを刺繍して過ごします の話に。 歌人・東直子の私が好きな部分満載の一首。 具体的には、①複数の掛かり方をするため複数の意味が生じるが収束する②それを成立させている読み下しのリズム この2点こそ、東直子の真骨頂だと思っている。 ここでは、まず意味の話に。 「これ、複数の意味が取れますよね。燃える森を止められないから鳥が飛ぶのか、燃える森を止められないから刺繍しているのか」と私。 「ああ、そうですね」と東さん。 「基本的に作り手としては後者なんですけど、前者も有りますよね。意識してやっている部分もあると思います。最近はやっていないですけど、掛け言葉とか、割と好きなんですよね」 この認定は大きな意味を持つ。 「本意」があるにもかかわらず、それとは別の像を見せることで、意図的に作品のイメージを膨らませているのだ。(幻視の女王、葛原妙子の影響がうかがえるところでもある。)
この時、彼女の代表歌の一つである ・好きだった世界もみんな連れてゆくあなたのカヌー燃えるみずうみ (東直子歌集『青卵』より) この歌の二重性や“入れ子”性もやはり意図的なのだろうと知ったのだ。 つまり、「好きだった世界」の中に、「あなたのカヌー」や「あなたのカヌー燃えるみずうみ」が含まれているのではないか? その場合、過去形と未来形が入れ子状になるため、読者はこの心象風景から永遠に抜け出せないのではないのか、という点に関して、「どうやら意図的に仕組まれていたのだろう」という事だ。 定型短詩にとって、「永遠性」というのは追うべき理想の一つである。 取り合わせや暗喩を用いて虚数点を探し出し、短いはずの音数に対し、無限に近い情報量を乗せるのである。 (俳句が季語を用いるのも、その季節の一瞬を、過去や未来に周り続けたその分のその時とその季節に作られた句を乗っけたいゆえなのだ。小説で言えば、村上春樹氏が『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の作品全体を通じて指摘しているものが、この「虚数点」であり、氏は度々同様の指摘をしている) それを、「掛け言葉とか割と好き」だという認識のもと、ナチュラルに用いることが出来てしまうことこそ、彼女の強みの一番大きな部分なのかもしれないとすら感じた。 ... to be continued