東直子インタヴュー⑨現代短歌百人一首(導入)
短歌の歴史
日本における最古の定型短詩である短歌の登場は、西暦712年の古事記上巻のスサノヲノミコトの作(として登場)するものです。
そこから759年までに様々な身分の人たちによって詠まれたものを、780年頃までにかけて編纂されたものが「万葉集」であり
・君にちかふ阿蘇の煙の絶ゆるとも萬葉集の歌ほろぶとも 吉井勇
と歌われるほど、近代以降に至るまで、「万人」が持つ普遍的価値観の象徴となっています。
百人一首とは
一方で、百人一首とは、古今和歌集や新古今和歌集などの勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)という、天皇や上皇の命により編纂された歌集の中から、藤原定家が13世紀前半に小倉山で編纂されたものと言われています。
この小倉山の地にちなんで、後に小倉百人一首と呼ばれるようになり、江戸時代になると木版画の普及により、現在の小倉百人一首の絵入りの一般的なかるたの形となります。これが人口に膾炙し、今なお教養などで登場するに至ります。
様々な人に愛され、競技かるたともなり、身近で雅な印象ですが、選ばれた歌を詠んだ100人は万葉集と違い、かなりの一部上流階級であったことを忘れてはいけません。
短歌にとって現代とは何か
つまりのところ、1200年以上の歴史を持つとはいえ、ほとんどの時期においての短歌は宮廷文化であり、句跨り(57577の各句において、単語や品詞が次の句まで2句に跨っている状態。技法。)などは、20世紀後半に塚本邦雄が確立させるまでは、俗語的で下品だとされていた程なのです。
戦後から塚本邦雄までを近代、以降を現代とする考えも存在しますが、
「諸説あって、ちょっと前までは昭和から現代だって言われていたんですけど、最近は明治から戦前までを近代短歌、前衛短歌(上記塚本邦雄の登場とほぼ同義)から始まる時代が現代とされていますね」
と、東直子さん。
では、現代語が百人一首当時の言葉とどう違うのか。東さんの近著『現代短歌版百人一首-花々は色あせるのね』を参考にみて行きましょう。
… to be continued